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ようこそおじゃったもんせ(。・ω・)ノ゙

かよポンと申します。
海(女子)と洋(男子)の小学3年生双子との日々をのんびり綴っています。

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皆様おやっとさぁ(´∀`*)


北風も吹いて、ようやく冬の訪れを感じるようになってきました。


最近、去年のことをよく思い出します。
去年の今頃は、娘はお家生活を始めていて…学校へ行かなくてもいいというホッとした気持ちの反面、自分はなんて駄目なんだろうと自分を責める気持ちでいっぱいでした。

家族は、そんな娘を中心に、いろんなことを感じ、迷走しつつも、


ただただ、娘の心からの笑顔が見たい、


その思いだけで過ごしてきました。



そして、今、そのことを少しずつ振り返ることができるようになってきました。



今回も文章だけで、そして何より長文です(^^;

母としての私からの目線でこの一年を綴っています。
(娘や主人や息子から見たらまた違うかもしれません。)




娘は、去年、調子を崩して秋からお家生活になりました。


吐き気、食欲不振、顔色の悪さが常で、笑顔もなくなり、体重も落ちていきました。そんな状態でも、娘はなんとか学校へ行こうとし、でも、体はいうことを聞かない。

その繰り返しに、私から学校を休もう、ゆっくりしようと話しました。


お家生活に入ってから病院に行きました。
学校の保健の先生(いつも相談にのってくださっていました)から、「同じように不登校になった子どもさんが通っていて、今は元気ですよ~。」という情報を聞いて、藁にもすがる思いで予約をしました。診断やお薬などは特になく、先生に状態を見てもらって『親が安心する』感じでした。月一回で3回ほど通ったのですが、状態が良くなってきたので終了。

今は、娘ととても相性の良いスクールカウンセラーさんとの出会いがあり、3か月に1回ほど、学校で面談(娘と二人きりだったり、私と3人だったり)しています。それも、もうあと何回かで終わる気配を見せています。


去年、私は、娘が学校に対して怖くて不安な気持ちが強くなりすぎて、休まざるを得なくなった時は、先も見えない不安と辛さで、戻れるものなら1年生の時に戻りたい、と思ったものでした。


でも、この一年で、娘本人の心の成長もあり、そして、私自身や息子や主人もこのことを通して、もう一度家族の在り方をそれぞれ考えることができ、そのことで自然と私自身の子どもたちへの接し方も変わっていきました。

まさに、何が大事なのか、原点に返った…という感じでした。

娘のことがあったから、私は私の育児の違っていたところに気づけて、自分が変わっていきました。
すると、娘だけでなく、家族の在り方もどんどんいい方に変わっていって以前よりももっと風通しがよく(その時はそれで風通しいいと思ってたんですが(^^;))、喜びや悲しみを家族みんなで共感し、幸せな気分があふれることがだんぜん増えてきました。




娘のきっかけですが…
本人、私をはじめとした家族、学校、先生、その関係性や思いが複雑に絡んでいたことだと思います。


娘の当時の担任の先生は言葉が多く感情の起伏が大きめで、よく大きな声を出す、いわゆる厳しく怖い先生でした。
娘は、人が叱られているのを目にするのも嫌で怖かったようです。
叱られたくない、いつ叱られるかもしれない、そんな緊張感が常にあった娘ですが、先生はそんな娘をしっかりしている子と把握してリーダーの一人として育てようという思いがあったようです。
そんな先生の期待も感じ取り、期待を裏切れず、でも人前が苦手な娘にとってはストレスフルな毎日で、自家中毒(←これはお家生活になってからの病院で判明、当時は胃腸炎だと思っていました。)となり、入院をしました。

そこまでで、すでにあったエネルギーが低下していたのにも加え、入院したことで、自分は何の病気なのか、もしかしたら死んでしまう病気かもしれない(この気持ちは後から聞きました)という恐怖もその小さい胸にひそかに抱えていました。

それでも、学校になんとか復帰。
そんなエネルギー低下の時に、休んだことに対してお友達から少しからかうような言葉があったようで(これも後から聞きました)、元気のある時であればなんともない言葉が、エネルギーがわずかだった娘には堪えてしまいます。


でも、娘がそうなってしまうまでに、私は何をしていたのか。。。
一人動揺して、どうして?なぜ?と原因を求め、なんとかそれを取り除いて学校へ足を向けさせようとしていました(不登校あるあるらしいですが(^^;))。


娘が落ち着いていろいろな思いや気持ちを私や主人に話すことができるようになったのは、かなり後のことでした。


今、思います。
娘が自家中毒になる前に、いっぱい娘の愚痴を聞いて、もっと気持ちを寄せていたら…

何か違っていたかな。


聞いているつもりだった、
わかっているつもりだった、
でも、本当のところはわかっていなかったんだと思います。



当時の娘は、不安からか視野もぎゅっと狭くなっていて状況自体もよくわからなくなっているといった感じで、当然ながら、言葉でその状況を話すことはますます難しいことになっていました。



そんな娘とそんな私にとって、このお家期間は必要だったんだと思います。



その後、一つ一つをじっくり時間をかけて紐ほどいていくことで、


今の娘は、ものすごく状況をクリアに見ることができるようになり、何よりも相手や自分の気持ちをまっすぐに見つめることができるようになってきました。
そして、鋭いことをズバリ!と言ってきます(;´∀`)


それから、当時は敏感でビビりな部分だけが前面に出てしまっていて小さく小さくぎゅっと固まっていた娘の心が、今は、周りの方々のおかげで、ふんわりとやわらかくなって、のんびりおっとりの天然という新しい個性も芽を出し、持ち前の好奇心も顔を出すようになりました。


そして何より、娘の心からの笑顔が戻ってきた…!


これ以上に、嬉しいことはありません。





私は、このこと以前は『転ばぬ先の杖』を娘に持て持てといっていたような気がします。無意識で。
それは娘の繊細で敏感すぎるところが、『私が心配で不安』だったから。

でも、今は、転ばぬ先の杖は必要ないかなと思うようになりました。


娘の人生、
この先、何か起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
でも、それは誰にも分らない。

だから、何か起こった時に考えればいいんだと。


一人で思いつかなければ家族みんなで考えればいい。
家族でも思いつかなければ周りと一緒に考えればいい。


子どもって、つまづいて盛大に転んでも、泣いたり、へこんだり、立ち止まったり、思い悩んだりしながら…そうすることで心を成長させながら、自分の人生を自分の足で歩んでいくんだなぁって。



親の役割なんて、
ただただ話を聞いて、楽しい話も愚痴も、ふ~ん、へぇ~、そうなんだ♪って聞いて、
話している子どもの顔を見ながら、その感情の動きに寄り添いつつ、
『この子、愛おしいなぁ(*´ω`)』
って思うだけなんだなぁって。

たぶん、私以前は、
『私が教えなくちゃ』って勝手に余計なお世話していて、もう大反省でした(;´∀`)

子どもは、自分で世界を見て、自分で気づいて、思って、選択して、自分のペースで動いていくんだなぁと実感する一年でした。



そして、この一年、家族だけでなく、周りの友人や学校の先生、そして、このブログを読んでくださっていた皆様にも本当に支えていただきました。

辛い時、苦しくて怖くて不安で自分一人ではもうどうしようもない、そんな時に、
『ひとりじゃない、大丈夫(*´ω`)』
その温かい気持ちや言葉がどれだけ心を支えてくれたか…


うまく言葉にできませんが、

本当に、本当にありがとうございました…!





かよポン

超長文になってしまいました(;´∀`)






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皆様、本日もぼちぼちと、おやっとさぁ